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離れて、離れて

7月にヨーロッパ旅行をしてからずっと気になっていることがある。

フランス人はなぜかっこいいのか。

1.周辺国の人々と比べてほっそりしている。
2.センスが良い
3.着ている服がオシャレ

思いついたのはこれぐらい。
でも、1と2はともかく、3の仮定については、気にして見ているうちにだんだんわからなくなってきた。
あの人オシャレ、と思って、どんな服を着ているのか近づいてよく見ると、たいした服じゃなかったりする。
パリでもあれば、本当にいいものを着ている人も多いだろうが、ストラスブールあたりじゃそんなわけもない(ゴメン)。
実際、デパートで売っている服を見ても全く食指が動かない。
生地が安っぽいし、縫製も良くないし、その割に高かった。
彼らはこんなのを着てて、かつ、かっこいいのか?

納得いかないまま帰ってきたのだが、通勤途中の駅の雑踏の中でふと思った。
日本人は品質の良いものに敏感だし、だからブランド品もいっぱい持ってるけど、それって近づいてみないとわからないようなものでは?
部分部分はいいものばかりだけど、全体像はどう?
もしかして、街を行くフランス人がかっこよく見えるのはそれと逆?

和装は形が決まってるから細部にこだわる。
洋装は帽子から靴、バッグまでを合わせて形を整える。
日本では、人と会うのは狭いところでじっくりが基本。
西洋には広いところでたくさんの人を見通す文化あり。

洋服は全身のトータルバランスで装うのだ。(あれ?超当たり前な結論・・・)
洋服を着て歩くのなら、大きな鏡で、靴まで履いて、十分離れたところから自分の姿を映して見なくちゃ。
自宅でやってみようとした。
・・・・・・
わかっちゃいたけどね。
都市在住庶民にはそんなことするスペースないんだってばー。



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犠牲の精神

アガサ・クリスティの「娘は娘」を読んだ。

結婚を巡ってお互いの人生を狂わせてしまう母娘の話。
ミステリ作品ではなく、殺人は起こらないし、もちろんホラーでもなく、読みやすい小説なのに、おそろしーいお話でもあるのだ。

「誰かのために犠牲を払ったと思っている人は、無意識のうちに相手に高い代償を払わせようとしてしまう」
というテーマなのだが、怖いのは「無意識に」であること。
わかっていれば、思い直してやめることもできる。
でも、自分が何をしているかに気づかないでいたら。
日常の中にいっぱいありそうで怖い怖い。

もうひとつ読んでいて重たいのが、この小説で起こる状況の解決が現実にはとても難しいであろうこと。
主人公のアンは早くに夫を亡くし、古いメイドと二人で育ててきた娘が19歳になったとき、友人を介して知り合った男と結婚を決意するが、彼と娘がどうしてもうまく行かず、間に挟まれたアンは疲弊してしまう。
男は「娘が家を出ればいい」と言い、娘は「私を追い出すなんて、お母様、そんなことおっしゃらないわね?」と泣きつくのだ。
娘と恋人とどちらを取るのかと迫られた母親はどうすれば良いのか。
どちらも失ってしまうことだってありそうだ。両方ともかけがえのない存在であっても。


クリスティにはこの手の小説(当初別名義で発表されたミステリでない作品)がいくつかあるが、どれもミステリ作家らしい洞察に満ちていて、ミス・マープルもポアロもトミー&タペンスもここから生まれたのねと納得させられる。
もしかして殺人事件抜きでも十分に面白い作品がたくさん書けたんじゃないですかね。

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